毎月第2木曜日、岳南朝日新聞に母力コラムを掲載いただいています。 コラムタイトルは「母に必要なチカラって何だろう?」です。
2月は深澤仁美が『アレルギーっ子を育てて見つけたこと』をテーマに書きました。
以下より全文お読みいただけますので、ぜひ読んでみてください。
【アレルギーっ子を育てて見つけたこと】
□食物アレルギーとの出会い
私には食物アレルギー(卵・乳)のある子どもがいます。
今から七年前、離乳食期の我が子にヨーグルトを与えたところ口まわりが赤くなり、(削除)かかりつけ医に相談し血液検査を行ったところ、食物アレルギーがあることが判明しました。
その時から、子どもが誤って卵や乳製品を食べたり飲んだりしないように、食事にはものすごく気をつかうようになりました。料理はもちろん、フライパンやスポンジにすら成分が付着しないように親用、子ども用と分けて使うようになりました。他にも、我が家の冷蔵庫にできるだけ卵と牛乳は置かないようにしたり、買い物1つする時も、必ず裏面の原材料を見るようになりました。
初めての子育てに加えて、食物アレルギーのことがあり、気を付けることが多すぎて、当時の私は気持ちがいっぱいいっぱいでした。
なぜ自分の子どもが食物アレルギーになってしまったのだろう、妊娠中に食べていた物がいけなかったのかと自分を責めることも少なくありませんでした。私の周りで食物アレルギーのある子の子育てをしている人は誰もおらず、わからないことだらけで常に情報に飢えていましたし、孤独を感じていました。
□集団生活への不安
もし自分のいないところで子どもにアレルギー反応が起きたらどうしよう?これから先、園や学校で問題なくやっていけるのだろうか?と必要以上に考え込んでしまうこともありました。
必死にアレルギーに関する講座をいくつも受講したり、かかりつけ医に相談をしたりしました。ただ、食物アレルギーの治療や対応方法は多種多様で、次第に何を頼ればいいのかわからなくなっていき、結局自分の中で模索しながら子育てしていくしかありませんでした。それでも、食物アレルギーを通じて、三島市のアレルギーを持つ親のおしゃべり会に参加をしたり、全国のアレルギーの患者会の運営者と話す機会があり、相談することや気持ちを共有することが出来ました。それにより、少しずつ、自分のやり方で子どものアレルギーと向き合い、対応していけるようになっていきました。
幼稚園や学校の給食、食の関わるイベントなどで大変なこともありましたが、そうした経験を通して、人とつながること、相談することの大切さを感じました。受け入れてくれた幼稚園や学校の先生方には感謝の気持ちでいっぱいです。
□地元の被災がもたらしたもの
そんな私に、ひとつの転機が訪れました。2018年7月、私の生まれ故郷である広島県で西日本豪雨災害が起きました。その避難生活のエピソードで、食物アレルギーの子どもたちが避難所で食べられるものが何もなく、浸水被害がある自宅の二階で避難生活を送り、アレルギー対応の食べ物が手に入らなく大変だったということを聞きました。
故郷のことでもあり、今住んでいる富士宮市も大地震や富士山噴火という災害リスクのある町であり、他人事とはまったく思えませんでした。そして、自分の身のことのように危機感を抱くようになりました。
もし被災したら自分も、同じ立場にある人達も孤立してしまうのではないか、このままではいけない、平時の内に繋がりを持ち、困ったときは助け合えるようにしなければと考えるようになりました。
その想いから、富士圏域になかったアレルギーの会を作ることにしました。そして、現在働いている母力向上委員会で、食物アレルギーのおしゃべり会の企画をしたり、災害に関する講座に関わらせてもらうようになりました。
アレルギーの会や母力向上委員会での経験は、それまでの自分だけで解決しようとする私自身の行動を少しずつ変えていき、身近な人に頼ってみたり、反対に自分がだれかのサポート役になることも増えていきました。今は”支え合う”ことの大切さを経験できる、そんな毎日を過ごしています。
私は食物アレルギーを通して、このような経験や想いを持つようになりました。しかし、誰かを頼ること、誰かに頼られること、そして支え合うことは、全ての子育てをしている人たちにとって大事なチカラなのではないかなぁと思っています。支え合う子育てを見守っていただけたら嬉しいです。
アレルギーの会について興味をお持ちの方は、Instagramで「smiley ふじのくに アレルギーの会」のアカウントからご連絡いただけると繋がることができます。ご参考にして下さい。
文責 深澤仁美
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