• 母力

岳南朝日新聞3月掲載されました

毎月第2木曜日、岳南朝日新聞に母力コラムを掲載いただいています。 コラムタイトルは「母に必要なチカラって何だろう?」です。

3月は野村志織が『医療的ケア児を育てる』をテーマに書きました。

以下より全文お読みいただけますので、ぜひ読んでみてください。


【産まれた時のはなし】


予定日を過ぎてもなかなか産まれて来ませんでした。妊婦健診では特に異常もなかったので歩いたり、産まれてくる赤ちゃんの肌着を縫ったりして過ごしていました。予定日を10日過ぎた頃、夫が帰ってくるのを待っていたかのように陣痛が始まりました。自然なお産を夢見ていた私は助産院の分娩予定をしていたので、病院と自宅を行ったり来たり、「まだ子宮口が開いてないよ、帰ってね」「まだだね、シャワー浴びて寝てから来てね」思い出すと大変な36時間でした。 先生が手で破水させてくれたけど私の体力の限界だったのかいきむことができなくなり、近くの病院に行くことになりました。病院に行ってからは陣痛促進剤を打ち、10分程で娘が出てきてくれました。「オギャーオギャー」産声が聞こえて安心したのも束の間、先生や看護師さんがバタバタしています。そして夫が呼び出され話を聞いています。 娘は呼吸が上手くできていないため救急車で運ばれていきました。



【不安との戦い】


産まれた後一度だけ抱っこさせてもらった時の、その温かい感覚だけが産んだ実感でした。部屋には私だけ、お祝い膳もみんなで食べる元気がなく自分の部屋で頂きました。娘は原因のひとつとして顎が小さ過ぎたので、舌根沈下を起こして上手く呼吸が出来ていなかった為に、気管切開という首にカニューレ(呼吸を助けたり薬を入れたりするため身体に差し込む管)を付けて呼吸するための手術を受けました。顎が小さいだけでなく、次から次へと問題が出て来てこれからどうなってしまうのだろうと考えだすと、涙が止まらない時期がありました。未来のことなんてわからないのに、どうにかしたい気持ちが先走り、辛い時期でした。



【お家に帰る】


退院するためには看護師さんと同じように医療ケアを自分で出来るようにならなければいけません。最初は震える手でカニューレの交換や痰吸引の練習をしました。もしもの時の為に心肺蘇生の方法やアンビュー(マスクを顔に密着させ換気を行う医療機器)の使い方も習い、小さな命を背負う責任感で身が引き締まりました。


【お家での生活】


赤ちゃんの時は吸引の頻度が多く、大変でした。娘が泣くと、抱っこもしたいし吸引もしたいし、自分の手が余分に何本かあればいいのにと思いました。カニューレが詰まってしまうと呼吸ができなくなるし、自分でカニューレを引っこ抜く赤ちゃんの話も聞いていたので目が離せません。消毒や洗いものにも追われて急がしい毎日でした。外出するにも荷物と医療ケアが多くて、一人ではなかなかお出かけできませんでした。運転中もいつ吸引のタイミングが来るかと思うと気が抜けません。この頃の娘は声は出ませんでしたが、たくさんの笑顔を見せてくれました。


【周りの反応】


鼻からの経管栄養用の管が入っていたりカニューレがついていたり、周りの人たちからどう思われるかなと怖くなり外出に勇気がいる時もありました。でも出てみれば「かわいいね」「何ヶ月?」一人の赤ちゃんとして接してくれる人が多くて救われました。たまに、かわいそうと言われた時に落ち込むことがありましたが、それはマイナスな意味じゃなくて優しさや気遣いから出た言葉だと受け取ることにしました。


【そして今】


娘は3歳半になりました。たくさんの成長を見せてくれています。いつ出るかわからないと言われていた声が漏れ出し、歩けるかわからないと言われていた足で歩きだし、難聴と言われていましたが、音が聞こえた時に教えてくれるようになり、目も不安はありますが飛行機を見つけて教えてくれたり、少しずつ安心させてくれました。最初は自分でミルクが飲めず鼻からチューブで入れていた栄養も、今では自分でお箸を持ち、大好きなご飯の時間を楽しんでいます。まだまだ心配なこともありますが、一緒にお散歩して食事をして、日常のありがたみを感じます。最近は他の人と自分の違いがわかるようになって来ました。「どうして私は気管切開がついているの?」と聞かれた時には、目が悪い人がメガネに助けてもらっているのと一緒で呼吸を助けてくれているんだよ。と答えていますが、これからどんな風に色々な情報を受け取っていくのでしょうか。天真爛漫なまま育ってくれることを祈るばかりです。周りを見渡すと色々な子が居ます、どんな子も得意なことや苦手なことがありますし、障害も個性だと思って接していったら良いのかなと思います。私一人では育てられませんでした。特に夫と母、そして周りの方々に感謝です。


文責 野村 志織