• 母力

岳南朝日新聞6月掲載されました

毎月第2木曜日、岳南朝日新聞に母力コラムを掲載いただいています。 コラムタイトルは「母に必要なチカラって何だろう?」です。

6月は金井あゆ美が『命を守るために』をテーマに書きました。

以下より全文お読みいただけますので、ぜひ読んでみてください。


この春から、我が家の長女が小学校へ入学しました。つい最近保育園へ入園したと思っていたのに、あっという間です。小さな体には大きすぎるくらいのランドセルを背負い、自分で小学校まで歩いて行くなんてできるのだろうかと心配でたまりませんでした。


 入学する少し前から、通学路を歩く練習を始めました。私の住む富士宮の住環境では、買い物に行くのも、毎日の保育園の登園もほとんどが車での移動。練習を始めた頃は歩いて小学校へたどり着くだけで精一杯でしたが、交差点では左右を確認すること、手を挙げて渡ること、交差点でなくても民家の出入り口から車がいきなり出てくるかもしれないから、目でも耳でも注意することを1つずつ理解していきました。入学する直前には、親と手を離して、親の少し前を自分で歩けるようになりました。



【子どもを守るためにはどうするか】

娘と一緒に登校の練習をしながら、現代の子は大変だなあと感じました。ある時期までは「道路では必ず大人と手をつないで歩く」と言われるのに、小学校にあがるときに突然「一人だけで気をつけて歩いて行く」と求められるのです。大人の見守りがある中で少しずつ失敗したり、これは危ないんだ、という感覚を経験の中で自然に覚えていくというステップを踏む機会が私が子どもだった頃よりも圧倒的に少ないのです。これは私のせいでもあります。「今の親は子どもをちゃんと見ていない」と周りに言われるのがこわくて、子どもの安全はもちろんですが、自衛のためにしていたことも否定できません。ニュースのコメンテーターが子どもの死亡事故があったときに「お子さんは突発的な行動に出ることもあるのだから、親がしっかり手をつないでいないと」と発言し、親が手を繋いでいないから、親がきちんとしていないから子どもが命を失った、と伝えていたこともありました。それは間違いではありません。我が子が周りに迷惑をかけないよう、命を落とさないよう、見守り、教えることは親の責任です。しかし、親の自己責任が行き過ぎているのでは、と感じてしまうこともあります。


 子どもが自分で交通ルールを守っていても、交通事故に巻き込まれることもあります。長女と次女を保育園に預け始めた3年前、滋賀県大津市で保育士と散歩中の園児が事故に巻き込まれ、死亡するという痛ましい事故が起きました。交差点で信号待ちをしていただけで、命を落としてしまった小さな子。死亡した子と次女の名前と年齢が同じだったこともあり、とても人事とは思えませんでした。もし、我が子が同じように命を落としていたら、自分が仕事なんてしていなかったら、保育園に預けなかったら、と後悔していたと思います。保育園に預けずに自宅で育てていても、同じ条件で巻き込まれる可能性はある、保育園に預けていたからじゃない、と頭では分かっていても、自分を責めずにいられるはずがありません。毎日のように、「お願いだから迎えに行くまで生きていて」と思っていました。



【社会全体で子を育てるとは】

社会全体で子どもを育てる、という言葉を聞いたことがあります。具体的にはどう在れば、社会全体で子どもを育てることになるのでしょうか。レジで子どもを連れながら大変そうにしている親に声をかけ、子どもを代わりに抱っこしてあげることでしょうか。ベビーカーを代わりに押してあげることでしょうか。そこまでしなくても「子どもの命を守る」という点では当たり前の交通ルールを大人が当たり前に守ることも、子どもやその親にとってはありがたいことです。速度を守る、一旦停止をする、スマホを見ながら運転しないなど、それだけで社会で子どもを大切にしていただけていると感じられるのです。


 教習所の教官が「どこにでもいる良い人が、ある日突然人殺しになってしまうのが交通事故」と言っていたのを思い出すことがあります。私も車を運転します。車一台あたりの重さは1トンから2トンだそうです。子どもの50倍以上もある鉄の塊を動かしていることを忘れてはならないと感じます。


 入学してしばらくは、途中まで一緒に登校しましたが、ある日娘が「もう一人で大丈夫!」と言い出したので、家の近くまでの見送りまでになりました。通勤途中の車から友達と一緒に歩いて行く姿を見ると、子どもの成長スピードはものすごいな、私も頑張らないと、と思わされます。未だに、「どうか命あって帰ってきて」と願うことはやめられません。


文責 金井あゆ美