毎月第2木曜日、岳南朝日新聞に母力コラムを掲載いただいています。 コラムタイトルは「母に必要なチカラって何だろう?」です。 8月はメンバーのよしだちゃんが~子育ては人生のやり直しのチャンス~をテーマに書きました。以下より全文お読みいただけますので、ぜひ読んでみてください。
苦手なものだらけの私の人生だった。だけど・・
私が子育てをしていて、折に触れて感じることがある。子育ては人生のやり直しのチャンスだと。私は生来、不器用である。家庭科や技術の授業は全ておざなりにしてきた。私には無理、できない、と蓋をして生きてきた。ところが、である。子どもが産まれてみて感じる、なんとこれらのスキルが必要なことか。
必要に駆られて
上の子の幼稚園入園の際、遠方に住む母がミシンをプレゼントしてくれた。せっかく買ってもらったのだから、と雑巾から作ってみる。まだまだ母の作ってくれたスモックには及ばないものの、ランチョンマットくらいは何とか作ることができるようになった。
忙しい夫に代わり、壊れたおもちゃを直す、自転車のサドルを調整する、家具を組み立てる、という仕事が次々と日常生活で発生する。なんだそんなこと、とお感じになる方もいるだろうが、私にとっては一つ一つが大きなチャレンジであった。そして、一つできるようになるたび、あれ、意外とできるものだな、と思う。そして一つ一つの事に、子どもたちは「ママすごいねー!!なんでもできるね!!」と言ってくれる。この私が何でもできる!?
こんなおかあさんでありたい!と思わせる子どものパワー
苦手なものの話ばかりで恐縮だが、私は悪筆である。どのくらいかというと、私の至らない点にはたいてい目をつぶってくれる優しい夫が、新婚当時、私の初めて書いた香典袋を見て、「これは・・」と唸った末、「あなたらしくていい字だけど、俺が書くよ。」と精一杯のフォローをしながらいそいそと自分の書いた香典袋を持って行った。私は悔しさと恥ずかしさのあまり、毎日猛練習をした。・・のではなく、すっかりあきらめ慶弔用のお名前スタンプを購入した。それからは冠婚葬祭の度、苦々しい気持ちで夫の名前スタンプを押していたのだった。
数年後、子どもが生まれ、ひらがなに興味を持ち始める年齢となった。私なんてどうせ字が汚いからとあきらめていが、富士市のお習字の講座の募集があり、ふと思い立ち参加してみる。こちらではありがたいことに子育て中でも託児付きで先生から字を習うことができる。まさかこんな歳になって漢字練習帳とにらめっこする日がくるとは思ってもいなかったが、とても楽しい。参加しているのは子育て中の方ばかり。「歳なんて関係ないよね、いつからだって練習したら綺麗になるよ!ほら!」と、夜な夜な練習したノートを見せてくれる同じ受講生の方。私も綺麗な字を書くお母さんでありたい、頑張ろうと思う。そして、いつか堂々と夫の名前を書く日を目指して、細々と練習をしているのである。
コロナ禍で気づいたこと
わたしはとてもせっかちである。子どもは自分より体も小さいし当然時間もかかる。頭ではわかっているのに、待ってあげられない。いつも「早く早く~」とこどもたちを急かしていた。そんな中訪れた、コロナウイルスによる自粛生活であった。
家で過ごしている際に、子育てを終えた女性の、こんな文章が心をとらえた。「子育てにおける最大の後悔。それは、果たして自分は子どもの興味関心にきちんと寄り添ってあげられただろうか、ということです。」ハッとした。私は子どもを急がせて大事なことを見過ごしてはいないだろうか。登園中や外から帰るとき、自分の立てた計画通りにいかないことばかりに心を奪われ、イライラしてはいなかっただろうか。その時子どもたちは何を見ていて、どんな顔をしていたのだろう。
子どもと家にいるだけの自粛生活。時間に追い立てられることなく、子どもをゆっくり「待つ」ことができる毎日。私自身、忙しくし過ぎて待つ余裕を失くしていたのだと気づかされた。
自粛生活が明け、また日常が戻ってきた。また生来のせっかちが顔を出してはいるが、しっかりと子どもの顔を見られるようになった。登園中、しゃがみこんだまま、なかなか歩かない子どもたちは嬉しそうな顔でずっと蛙を見ている。こんなに傍にいて、色々な顔を見られるのも今だけなのだなと思う。人生ずっと早歩きで生きてきたせっかちな私が、少しずつでも待てる日がくるなんて、子育てって面白いなと思う。育てているというか、私自身も育ててもらっていることを感じる。これからも私はいろいろなことに気づかせてもらって、再挑戦するのだろう。さあ夏休みがやってくる。毎日何をして子どもたちと一緒にすごそうかな?
(文・写真 佐野沙保里)
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