top of page

岳南朝日新聞11月掲載されました

  • 母力
  • 11 時間前
  • 読了時間: 4分

11月は高橋未幸

転入、子育て―地域の優しさに支えてもらった富士宮での10年】をテーマに書きました。


以下より全文お読みいただけますので、ぜひ読んでみてください。

ree

転入、子育て―地域の優しさに支えてもらった富士宮での10年



見知らぬ土地、不安だらけの日々

10年前の2015年、私は結婚を機に富士宮市へやってきました。夫も私も埼玉県出身。この街に親戚や友人は一人もおらず、まさにゼロからのスタートでした。

 

結婚はおめでたいことですが、東京で勤めた会社を辞め、キャリアや人間関係をすべて手放しての移住。「心から笑い合える友人はできるだろうか」。見えない未来への問いだけが、頭を巡ります。

 

そして追い打ちをかけるように、当時の私はペーパードライバーでした。行きたい場所に自由に行けないもどかしさが、社会から切り離されたような孤独感を一層色濃くしました。

 

そんな中、移住して間もなく長男を妊娠。里帰り出産を終えると、慣れない土地での育児が始まりました。私の世界は、自宅と近所だけの小さな空間。まだ言葉を話せない長男と二人きりの日々。日中、言葉を交わす相手がスーパーの店員さんだけ、という日も少なくありませんでした。



日常の中で出会った地域の優しさ

行動範囲が徒歩圏内に限られる中、唯一の気分転換は長男の手を引いての散歩でした。そこで私はこの街の温かさに触れ始めます。

 

すれ違う方々が「こんにちは」「僕、かわいいねえ」と、実に気さくに声をかけてくれるのです。夫以外の誰とも話さずに一日が終わることもあった私にとって、その一言一言が心に染み渡るようでした。

 

当時、車を眺めるのが好きだった長男と、よくコンビニ近くの交差点へ出かけました。歩道の隅にちょこんと座り込み、何十分でも飽きずに車列を見つめる息子。

 

すると、多くのドライバーの方々が気づいて手を振ってくれます。また、覚えたての「会釈」にハマっていた息子が、信号待ちの運転手さんに向かってぺこりとお辞儀をすると、皆さんがちょっと驚いたように笑って会釈を返してくれる。その光景が、私はたまらなく好きでした。

 

ママとパパ以外との関わりがほとんどなかった息子にとって、それは世界との楽しいコミュニケーションであり、私にとっては、見知らぬ街が少しだけ微笑み返してくれたように感じられる、大切な時間でした。

 

少しずつ広がっていった世界

息子が1歳を迎える頃、「このままではいけない」と一念発起してペーパードライバーを卒業。

 

勇気を出して向かったのが、当時徒歩では行けなかった子育てサロン「根ねっこサロン」です。そこで、同い年のお子さんを持つママと初めて連絡先を交換。たった一つの繋がりが、目の前を明るく照らしてくれました。

 

そんな矢先、忘れられない出来事もありました。

 

スーパーでの会計中、長男が突然火がついたように泣き叫び、大ぐずりを始めたのです。店中に響き渡る声に、私は「申し訳ない」とパニック寸前。その時、近くにいた3名もの店員さんがさっと駆け寄り、「大丈夫ですよ」と、会計が終わるまで息子をなだめ続けてくれたのです。

 

その優しさに触れた時「この街でなら、きっと大丈夫」と、張り詰めていた心の糸がふっと緩んだのを覚えています。



「ママ、毎日よく頑張ってるよ」

1歳半健診で長男の発達について指摘を受け、親子で療育支援センターに通うことになりました。先の見えない不安に押しつぶされそうになった時も、支えてくれたのはこの街の人々でした。

 

療育の先生方は息子の個性に根気強く向き合い、私たちの歩みを優しくサポートしてくださいました。

 

先生方は具体的なアドバイスと共に、いつも最後にこう言ってくれました。「ママ、毎日よく頑張ってるよ」と。

 

その言葉は、慣れない土地で初めての育児に奮闘する私にとって、何よりのお守りでした。悩みや不安を一人で抱え込まずに済んだのは、先生方が私の心にも寄り添ってくれたおかげです。



もらった優しさを、地域のママたちへ

富士宮に来て10年。点と点だった出会いは、いつの間にか私と子どもたちを支える大きな円になっていました。

 

長男を出産した3年後には次男も生まれ、あれほど不安だったこの街は、今では二人の息子が楽しそうに駆け回る、かけがえのない「第二のふるさと」になりました。

 

富士宮でいただいた温かい恩を、今度は私が誰かに「お裾分け」する番かもしれない。そんな気持ちが自然に芽生え、以前から活動を知っていた富士宮市公認のママライターチーム「ハハラッチ」の扉を、そっとたたいてみました。

 

母親の視点で、この街の魅力を伝えること。それが、この素晴らしいふるさとへの、私なりのささやかな恩返しになればと願っています。

 

文責 高橋 未幸

 
 
 

コメント


bottom of page