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岳南朝日新聞10月掲載されました

毎月第2木曜日、岳南朝日新聞に母力コラムを掲載いただいています。 コラムタイトルは「母に必要なチカラって何だろう?」です。 10月はメンバーのさぁやちゃんが~子どもを1人の人間として尊重すること~をテーマに書きました。以下より全文お読みいただけますので、ぜひ読んでみてください。



一人の人間を尊重するということ

言葉を話すようになった娘

 私の娘は3歳です。言葉をどんどん覚え、少しずつ長文を話すようになってきました。赤ちゃんの頃は生理的欲求が満たされていれば、されるがまま何も言わなかった娘も、やりたいことや気に入らないことがあれば主張してきます。「言葉が通じなくても説明する行為は大切」という話も聞いていたので、娘が0歳の頃から「言葉にならない要求や気持ち」を汲み取ろうと特に心がけているつもりでした。しかし、いざ言葉でコミュニケーションを取れるようになると、私の予想外の返答や反応を見せる娘に「ああ、これがこの子の性格なのだな。私の考え方や感じ方を押し付けてつぶさないように気をつけないとな」としみじみ感じることが増えてきました。

理不尽な「大人扱い」

 そんなある日、私はふと娘の扱いが大きく変わったことに気づきました。娘がこちらの言葉を理解できたり、自分の意思を言葉で表現できるようになったりしたことで、「きっと分かっているはず」という期待が無意識に生まれていたことに気づいたのです。例えば、いま娘は平日だけ託児所に通っていますが、土日の朝に「託児所に行く」と言い出すこともあれば、平日の朝にゆっくり過ごして託児所に遅れそうになることもあります。大人の私から見れば「忙しい平日の朝に遊び始めないで欲しい」「土日なのだから託児所には行かない」と自然に思うのですが、当の娘は「託児所に行く日」も知らなければ、「曜日」という概念さえ知らないのです。そもそも私は「説明しても分からないだろう」と無意識に決めつけ、「平日だけ託児所に行くからね」と事前説明すらしていなかったことに気づきました。忙しい日々で精一杯になっていたこともありますが、数カ月も通っていれば自然と分かるだろうと思っていたのです。

 考えてみれば、3歳の子どもにとって、事態を予測をしたり行間や空気を読んだりすることは高度なスキルです。もちろん3歳なりにそのようなこともしますが、大人同士のやり取りとは精度が違います。そのようなことに気づいてから、娘が毎朝起きてすぐに「今日は託児所に行く日だよ」「今日はお休みの日だよ」と娘に伝えるようにしました。

理不尽な「子ども扱い」

 また、そうしたこととは反対に、「理不尽な子ども扱い」をしていることにも気づきました。今日着る服やスーパーで買うお菓子、遊ぶおもちゃなど、日常のささいな選択をする時も「絶対汚すから別の服にしよう」「家に同じお菓子があるから違うお菓子に変えよう」「飽きるから違うおもちゃにしよう」と先回りした干渉をしてしまいがちでした。汚れた服は洗えばよく、お菓子やおもちゃの選び方も何度もトライしてみないと好みは分からないものです。他にも「あとでお菓子を買いに行こう」と言った約束を忘れたり、出かける前に「どうせ嫌がるだろうな」と決めつけて観ているテレビを「消していい?」と聞くことなく「ほら行くよ」と言って消してしまったり。親として言い訳をするならば、急いでいて余裕がなかったり、つい効率やコスパを優先してしまう癖が出たりしてしまうのでした。当然、娘は怒ったり、しょんぼりしたり。「最近、無邪気に笑う回数が減ったかな?」と感じて理由を考えた時に、親の都合で随分と振り回していたことに気づきました。言葉を話すようになったというだけでその言葉に頼り、子どもの立場で考えたり気持ちを察したりすることを怠けていたのだと思います。子どもを子ども扱いし過ぎず、大人扱いし過ぎず、ありのままに捉えることの大切さを改めて感じました。

ありのままを見る

 そうしたことに気づいてからは、基本的には娘の選択をそのまま受け入れるようにしています。朝ご飯や歯ブラシの種類は何がいいかなど、日常生活の中で選択する場面も増やすようにしました。その結果、色んな柄やキャラクターが混じった服装になることもあれば、娘の年齢では食べられないお菓子を買うこともありますが、嬉しそうにしたり誇らしげな顔をしたりする娘を見られることがとても楽しいです。時には子どもの選択や要求を叶えられない場面もあるので、そういう時は言葉を尽くして説明し、子どもが納得して譲歩してくれたら感謝を伝えるようにしています。夫や友人に対して接する時と同じように子どもを一人の人間として尊重し、お互いの考えや気持ちを伝えあって理解する姿勢をいつまでも忘れないでいたいと思います。

文責:渡邉沙絢

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