top of page

岳南朝日新聞8月掲載されました



8月は木田美早

【コロナ禍での想定外の出産~医療従事者の方々へ伝えたい、感謝の気持ち~】を

テーマに書きました。

以下より全文お読みいただけますので、ぜひ読んでみてください。

昨年の10月、第二子を出産しました。今回の妊娠期は、まだコロナのなかった第一子の時とは全く違うものでした。妊婦健診や出産には様々な制限があったり、ワクチンの接種が開始されたり、不安や悩みを抱えていた時間が多かったように感じます。それでも経過は順調で、世の中への不安はあったものの、お腹の中の赤ちゃんは何の問題もなく生まれてきてくれるものだと信じていました。しかし、妊娠8カ月を迎えたある晩、突然お腹が痛くなりました。その痛みに若干の違和感はあったものの「寝れば治るかな?」程度の軽い気持ちで眠りにつきました。しかし夜中も弱い痛みが続き、それは第一子のときに経験した軽い陣痛のような感覚でした。これはおかしいと感じ、明け方かかりつけの産婦人科に連絡し状況を伝えました。すぐに来るようにと言われたため病院へ向かい、一通りの検査をしました。すると周りがバタバタとし始め、市内の総合病院で緊急の帝王切開で出産する事になりました。救急車ですぐに病院に着き、そのまま手術台へ。早口で色々な説明をされたような記憶がありますが、全身麻酔によりその後の事は覚えていません。そこから次に記憶があるのはその日の夕方。まんまるだったお腹はへこんでいました。予定より1ヵ月半早く生まれたわが子はNICUにいました。私は術後の痛みで起き上がる事すらできず、その日は赤ちゃんに会うことができませんでした。翌日も全身が痛くて、寝返りを打つこともできませんでした。心身のダメージが大きすぎてなかなか眠れませんでした。それでも夜中になんとかうとうとしてきたところ、先生と看護師さんが部屋にやってきました。そして、赤ちゃんの容体がよくないため、これから県内でもトップクラスの子どもの医療に特化した病院に救急搬送するという説明を受けました。夜中の1時でした。まだベッドから起き上がれない私を看護師さんがご厚意でベッドごと運んでくださり、搬送される前のわが子に一目会う事ができました。そこからは心身共にとても苦しかったです。それでも人間の治癒力と医療はすごいもので、術後4日目にはなんとか立ち上がれるようになりました。それにより、先生から外出許可をもらえて、赤ちゃんの搬送先の病院に面会に行けることになりました。夫に病院まで連れて行ってもらい、やっと会えたわが子は体にたくさんのチューブがついていて、モニターで管理されていました。小さな小さな体で、一生懸命生きていました。


【思わぬ形で受けたコロナの影響】

しばらく入院して快方に向かってきたので、地域のNICUに戻ることになりました。しかし、そちらの病院ではコロナの関係で面会が一切できず、母乳を届けに行ったときに看護師さんから様子を教えてもらうことしかできませんでした。そんななかでも、なんとか様子を伝えようと工夫してくれていて、看護師さんが毎日赤ちゃんの写真を撮って見せてくれました。その写真を小さなノートに張り付け、隣にはその日の記録や、ちょっとしたコメントが添えられていました。全てのページが、かわいいシールで飾られていました。一生懸命生きるわが子のために考えた名前を、「いい名前つけたね!」と看護師さんに言ってもらえた時には、涙が止まりませんでした。


【そして、今】

子どもは生後8カ月になりました。早産だということが全く気にならないくらい元気に、とてもおだやかな子に成長しています。入院の時に看護師さんが付けていてくれたノートは、退院時に受け取りました。最後のページには、退院を祝うコメントと、これからの育児へのエールが記されていました。これは見返すと今でも涙が出てきてしまいますが、一生の宝物です


【忘れずにいたいこと】

Withコロナの世の中になってきましたが、まだまだ医療従事者の方々は大変で、この数年間ずっと最前線で戦い続けているのだと思います。そんな状況のなかでも、今回の出産でお世話になった先生や看護師さん、その他病院の関係者の方々、みなさん優しく接してくださり、心身共に本当に救われました。コロナが当たり前になってきて、メディア等でも当初ほど医療従事者の方々がフォーカスされていませんが、感謝と労いの気持ちを忘れずに持ち続けたいと思いました。そして一日でも早くコロナが収束することを祈るばかりです。


文責 木田美早



bottom of page