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岳南朝日新聞9月掲載されました



9月は佐野沙保里

【コロナ禍と絵本と娘】をテーマに書きました。

以下より全文お読みいただけますので、ぜひ読んでみてください。


(ある絵本との出会い)

「この本の女の子は私だよ」と娘は言った。夏休みに入る前、心も体も疲れ気味だった娘。色々話を聞いてみるものの、娘の心は晴れないようだった。そんな時、立ち寄った図書館にて、いつも人気で貸出中になっているヨシタケシンスケの絵本が、1冊だけ残っていた。題名は「ころべばいいのに」なんとなく題名にドキッとして、今まで手に取らないでいた本だったが、借りてきた。どんな絵本なのだろうと二人で寝る前に読んでみると、いやなことがあった主人公の女の子がそれにどう向き合っていくのか、子どもらしい思考でいろいろ考えていくお話である。教育的要素が強い絵本の世界において、人間のドロドロとした気持ち、嫌な気持ちをこんな風に率直に書いている絵本はあまりないのではないだろうかと思う。そうそう、ほんとにそんな気持ちになるよね、大人でもそうだよ、と言いながら娘と読んだ。娘はその後も1人何度も読んでいた。娘がふと入浴中に、「私、あの本に出会えてよかったよ。私だけじゃないんだって思ったよ」


(コロナ禍での小学校生活のスタート)

コロナの感染拡大の中、小学校に入学した娘。休み時間でもできるだけ自分の席で過ごさなければいけない時期もあった。給食は黙食、運動会は規模を縮小・日々マスクをする生活・・それは2年生になった今でも続いている。人との距離を、と言われている中での小学校生活は、友達とどう人間関係を構築していくのか難しい場面も多いだろう。暑くなって、登下校中にはマスクをしなくてもよくなっても、友達と行くから、とマスクを外さないで顔を真っ赤にして学校に行っている様子を見ていて、自分の小学生時代と比べてみても大きな身体的・精神的な負担は相当大きいのだろうと感じる。日々、学校で子どもと接している先生たちも感染症対策と子どもたちの健全な学校生活のバランスの中で、さまざまな配慮や苦労が感じられ、なんだか大変な時代になってしまったな、と感じる。

今回娘が不調を訴えたのをきっかけに、改めていろいろなことを考えた。毎日学校に行っていることだけですごいことだし、学校で頑張っている分、家ではゆっくり休ませてあげなければと猛省をした。そして娘が主人公の女の子に共感し、少しでも元気になれたこと、この絵本に出会えたことを幸いに感じた。


(年々手を離れていく子どもたち)

授乳・おむつ替え・移動・食事・就寝、子どもたちが産まれてから何をするにしても一緒だったのに、気が付けば一人でできるようになっているどころか、何でも手伝ってくれるようになったことで、私は大いに助けられている。料理や掃除など日々の家事でどれだけ子どもたちに助けられているか、わからないほどだ。こうやって親の手から離れていくのだと身を持って感じる。

先日、娘が絵本に助けられたようにこれからは親以外のモノや人と出会い、助けられたりしていくのだなと思う。もう上の娘に対して、私が手取り足取り教えていく時期は終わりつつあるのだ。私はこれから黙って娘を見守るステージに突入しているのだなと。

育児中たびたび目にする機会のあった(子育て四訓)を思い出す。

乳児は肌を離すな

幼児は肌を離せ、手を離すな

少年は手を離せ、目を離すな

青年は目を離せ、心を離すな

というものである。娘はまさしく「少年は手を離せ、目を離すな」の時期なのだ。ついつい先回りして用意してあげたくなる私の性格なのだが、これからはどう転ぶのかどう立ち上がるのかをそっと見守っていくのがいいのであろう。頭ではわかっていても私の性格上、本当に難しい、自分との闘いだなと思う。育児は育自とはよく言ったもので、夜泣きや睡眠不足など身体的な大変さが去った今、自身の精神を育てていく時期に突入している。今までそうであったように、私自身もこれからもたくさんのモノや人に出会い、助けてもらいながら育児(育自)をしていなければと改めて感じる。

自分が幼少期に感じていた大人は何でもできると思っていたが、いざ自分が大人になってみると全然違う。すぐにイライラするし、ダイエットは続かない、子どもに注意していることを自分ができていないこともある。何歳になっても自分は未熟だと感じることばかりだ。私もまだまだ勉強中。子どもたちに未熟な自分を隠さず、間違ったら謝る、時には子どもに教わって一緒に勉強していこう、そんな母親でいたいなと思う。

(文責 佐野沙保里)






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